カテゴリー「感動した話 『泣ける2ちゃんねる』より」の14件の記事

2009/10/28

母に買ったハンドクリーム

久しぶりに、泣ける2ちゃんねるシリーズです。

651 :名無しの心子知らず :03/09/28 15:23 ID:SsCx8vWV

 俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかった。

 すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。

 俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。

 貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れない。
 
 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。

 これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
 
 そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
 
 いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

 母にはハンドクリーム買ってやった。
 
 いっつも手が荒れてたから。

 去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
 
 泣いたね。
 
 初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

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2008/09/30

陸橋を渡った婆ちゃんの姿

俺は両親が共働きだったから、小さい時はほとんど婆ちゃんの家で過ごした。

婆ちゃんとはよく電車に乗っていた記憶がある。

それは婆ちゃんが頻繁に俺を実家に連れて行っていたためと聞いた。

孫ができて嬉しくてしょうがなかったとのこと。

小さい頃のことでほとんど憶えてないのだが唯一覚えているのが駅にあった小さな陸橋。

あそこをおんぶされて渡るのは少し怖かった。

婆ちゃんの実家には俺が4.5歳の頃から血縁者は誰もいない。
それ以来疎遠になって、行った事も無かった。

それで何年か前のことだけど、会社でいろんな嫌な事が重なって、ボロボロになって追い詰められて自殺も考えた。

取り敢えず死ぬ場所を探しておくことにし、いろいろ考えた末、電車で行こうと決め、俺は高徳線に乗りこんだ。

ぼ~っとしたままかなり長く走って、とうとう婆ちゃんの実家がある駅まで来てしまった。

でもあんまり田舎なので、何の実感もわかなかった。

降りようか降りまいか悩んでいたらドアが閉まりかけたので用も無いのにとっさに降りてしまった。20年ぶりくらいだ。

さっきは気付かなかったが、降りたらすぐ左に、線路にまたがった、駅の出口に行くための小さな緑の陸橋があった。
 
コレだけは覚えている。

まだあったのだ、と思った。

とりあえず車掌に切符を渡した。列車が発車する。

そこは無人駅で、とても静かだった。こんなところに降りてどうする。

取り敢えず早く死に場所を見つけないと。そう思い一人陸橋で手摺につかまり目を閉じた。

するとその時、本当に嬉しそうに小さな俺をおんぶして、何度も何度もその陸橋を渡った婆ちゃんの姿が思い浮かんだ。

俺が生まれたこと、それが嬉しくてたまらなかった婆ちゃんの姿が。

急に涙が出た。自殺なんてとんでもない、自分を殺すなんてとんでもない。とっとと帰ろうと思った。そのまま自販で切符を買って帰りの電車を待った。

もはや何もかも小さな問題に思えた。

それより孫をおんぶした婆ちゃんの嬉しそうな顔を思い浮かべると、自分を絶対見捨てたくなくなった。

時を越える身内の愛の偉大さを感じた。

あの駅は、俺にとって一生忘れる事は出来ない。
 
そこは高徳線の中でも読みづらい漢字二文字の駅です。

俺の人生をかえた駅です。

──────────

○ 長い人生、時にはそんなこともあります。

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2008/09/08

形見のお守り

 初めて彼女にあったのは、内定式のとき。同期だった。
 聡明を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文かなんかが賞を取ったらしく、期待の新人ということだった。

 ただ、ちょっときつめ&変わった人で、やることすべてパーフェクトだし、自分のことはなんにも話さないので、宇宙人ではないかとの噂もあった。まあ美人と言えば美人なんだけど、洋服とかおしゃれに気を使わないようだったし、クソまじめだし、お高くとまってるというより男嫌いみたいだった。
 近寄る男はいなかった。おいらも、なんかちょっと嫌いだった。

 彼女とは、偶然同じ部署に配属になった。それまで出会ったどんな女の人とも違うので、からかって反応を楽しむようになった。
 はじめは、すごく嫌がっていた彼女だったが、半年も経つと馴れてきたのか、そのころおいらが結婚したんで安心したのか、少しづつ相手をしてくれるようになった。

 その後、ちょっとだけ仲良しになって、愚痴を言い合ったりするようにはなったが、相変わらず自分のことは、何にも話さない。休日何をしているかとか、家族のことはもちろん、本人のことも、例えば誕生日なんかも、何年間か知らなかった。

 ある日、ある試験の申し込み書類の書き方を聞いたら、自分の書類をもって来て見せてくれた。そこに、生年月日が書いてあった。なんと、その日が誕生日だった。今日はデートかなぁ?などといいつつ、とりあえず、昼休みに食べたチョコエッグに入ってたカメを誕生日プレゼントと言って渡した。
 爬虫類大好きと言って子供みたいに喜んでいたのが印象的だった。変わってるなぁと思った。

 確かに変わった人で、いまどき携帯は大嫌いとかで、持ってなかった。写真を撮られれるのも大嫌いだった。カメラ付き携帯で飲み会のとき撮影したら、すごく怒って、しばらく口をきいてくれなかったこともあった。無理やり一緒にプリクラ撮ったときは、悪用されるといやだからと言って、シートごと全部持っていってしまった。

 彼女は、がんばりやだった。もともと才能もあったし、がんばるもんだから、どんどん出世していった。それにほとんど遊ぶこともなく、仕事がおわるとまっすぐ家に帰っていた。そんなに、お金ためてどうすんのー?お父さんの借金でも返ししてんの?などとからかった。

 そのころには、彼女のことがとても好きになってしまっていた。でも、おいらはもう子持ちなので、表に出さないようにぐっとこらえていた。ただ、彼女の周りをうろちょろして、愚痴の聞き役や、遅くなったときのタクシー代わりをしていた。でも、プライベートな関係は一切無かったし、変な噂にならないように気を配った。同僚は、おいらは彼女の「ぽち」に見えると言っていた。自分も彼女の「ぽち」という立場が気に入っていた。

 そんな関係がしばらく続いた。彼女は、相変わらず独身だった。彼氏や恋人がいるかどうかは全然分からなかった。ただ、彼女は、お守りみたいな、小さな袋をいつもバックにつけていた。何か聞いても、秘密のお守りとしか教えてくれなかった。彼女が仕事のトラブルで落ち込んでいたとき、彼女のデスクでそのお守りをギュッとにぎっていたのを見たことがあった。だから、勝手に遠くにいる彼氏からもらったのかな?などと思っていた。

 ある日、海外出張からの帰り、成田で携帯の電源を入れたとたんに同僚から電話があった。彼女が亡くなったと言われたとき。全身の力が抜けた。みみの奥がキーンと鳴ったのを覚えている。交通事故だった。事故直後は、意識もあり、たいしたことはないと思われたらしいが、内臓からの出血があり、急変したとのことだった。

 現実のこととは思えずに、なぜかあまり、涙もでてこなかった。職場の何人かで、葬儀の手伝いをした。そのとき初めて知っのだが、母子家庭だった。お姉さんもいるが、施設に入っているとこのことだった。彼女が大黒柱として家族を支えていたのだ。彼女を軽率にからかったりしたこと恥じた。とても申し訳なくて気が狂いそうだった。

 葬儀の後、帰ろうとしていると、彼女のお母さんに呼び止められた。渡したいものがあるから彼女の実家にあとで一緒に来てほしいと言われた。貸していた本のことかな?と思いつつ彼女の母親と実家に向かった。母親は、道すがら、彼女は大好きだった父親が出て行ってから、男の人が嫌いになったこと、誰にも頼らないで自分の力で生きていこうと誓ったこと、土日はあまり健康でない母親と、施設の姉の世話をしていたことを話
してくれた。自分の子供とは思えないほどがんばりやだったと。

 家に着くと、彼女の部屋に案内された。きれいに片付いていた、というより女性の部屋とは思えないくらい何も無かった。ただ、専門書とノートがたくさんあった。母親は、彼女がいつもおいらの話を楽しそうにしていたこと、おいらのことが大好きだったけど、おいらの子供たちを自分のように悲しませることになるといけないと思い黙っていたこと、彼女が意識を失う直前に、おいらに会いたいと言っていたことを話してくれた。机のすみにおいらと写ったプリクラが貼ってあった。声を出して泣いたのは、大人になってから初めてだった。

 帰るとき、彼女が亡くなったとき身につけていたネックレスと、いつも持ち歩いていたお守りを形見にもらった。そばにおいてやって下さい。と言われた。ネックレスは母親が就職記念にあげたものだった。ただ、母親にもどこで手に入れたか分からないお守りを受け取るのはちょっと気が引けた。でも、とても大切にしていたので、受け取ることにした。開けてみようとも思ったがやめた。

 それからすぐ転職をした。一年後、ようやく少し落ち着いた。形見のお守りは、いつも彼女がしていたようにかばんにつけて持ち歩いていた。ネックレスもお守りと同じような袋を買い、中に入れて一緒に持ち歩いていた。先日、職場の女の子が、「これ前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」といい、かばんのお守りを開けてしまった。とめる間もなかった。

というより、そういったときはもう中身を取り出していた。彼女は、突然、なにこれー?といって大笑いを始めた。

 お守りの中には、チョコエッグのカメが入っていた。
 おいらは、もう、職場にいることも忘れ、ただただ泣き続けた。

 

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2008/04/30

神様に手紙

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

この記事へのコメント


2006/09/14(木) 03:36 | URL | にゃあ #PTRa1D3I[編集]
良い娘さんですね。。
何度も読み返し、沢山の涙が流れました。


2006/11/26(日) 00:24 | URL | #77JuWepU[編集]
いい子ですね。涙が、自然に出た。

2006/11/26(日) 00:35 | URL | コバカ #-[編集]
夜中に声を上げて泣いてしまうところでした。返してあげたいです、パパを

2006/11/26(日) 00:35 | URL | さかまき #no8j9Kzg[編集]
何度も読み返し何度も泣きました。涙が止まりません。

2006/11/26(日) 01:53 | URL | ハイサイ沖縄 #-[編集]
めっちゃ泣きました。。。
切ないです・・・
小さい子でも死がわかるんですね・・・

2006/12/09(土) 14:50 | URL | pentys #mIeuDi4s[編集]
あなたとご主人が育てたお子さんこそが神様ですね。読んだみんなに生きるテーマを与えてくれてます。

2006/12/09(土) 23:46 | URL | かいまま #-[編集]
泣けるよ~(T0T)
優しい子なんだね~!!!もしも叶うのなら、会わせてあげたいです~(T0T)やばい・・・涙が止まらない・・・

2006/12/17(日) 16:27 | URL | しー #-[編集]
感動のあまり涙が止まりませんでした・・・ 
優しい娘さんをもって幸せですね

2006/12/22(金) 11:49 | URL | しお #N0fGSRtA[編集]
いい娘です。
神様に手紙を書くために一生懸命字を覚えたんですね。
娘に父親を合わせてあげてほしい・・・
私も一目みてみたいと思いめした。

2007/01/07(日) 00:00 | URL | #-[編集]
涙が勝手に溢れてきました…。
自然と勝手に涙が流れてきたことは初めてでした。すごくすごく切なくなりました。本当に天使の様な娘さんです。

2007/01/16(火) 18:54 | URL | ナナコロヤオキ #sCdCES4I[編集]
やべー
めちゃくちゃ泣ける。この世に神がいるならお父さん返してあげて下さい……

2007/02/04(日) 00:26 | URL | 通りすがりの名無し #-[編集]
かわいそう
この良い娘さんに育ってお母さん幸せですね。

2007/02/10(土) 08:18 | URL | 松本 #-[編集]
やばい
感動・・・
自然と涙でてきた

2007/02/10(土) 22:56 | URL | らぶうう #-[編集]
今これテレビにでたな

2007/02/11(日) 00:05 | URL | #-[編集]
テレビでみるよりこっちでみたほうがこれは泣ける!!

2007/02/11(日) 00:52 | URL | #-[編集]
うん、テレビより泣けるのはなぜ?

2007/02/12(月) 13:45 | URL | (´`泣 #zHAUYs2U[編集]
これ切ないなぁ。
お母さん辛いだろうね。
頑張ればかなうっていう願い事じゃないもんね。

2007/02/18(日) 01:33 | URL | まりあ #-[編集]
テレビで拝見しました。
涙が止まりませんでした。
私の家は、母子家庭で4才の息子がいます。
もっと強く生きたいっておもいました!何もできないけど応援してます!!

2007/02/19(月) 11:55 | URL | ちえママ #GsbZZxQM[編集]
感動っす!
本当にいいお話を聞かせてもらいました!
ありがとうございます
いい娘さんですね。

2007/02/24(土) 17:40 | URL | 乙 #-[編集]
あなたはりっぱな母親だ
優しい人間なんですね。
あなたも、亡くなった旦那さんも。
じゃないと、こんな優しい娘さんに育ちません。
両親に愛されて育った証拠がこの子の行動ですね。
娘さんを大切に

 

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2008/04/29

うちのおかんの話

    当時おかんは6人兄弟(男3女3)の長男の嫁として、嫁いできた。
    長男の弟妹はまだみんな学生で、いわば小姑的存在。
    かなりの貧乏で、姑とお舅との折り合いも悪く、とくにお舅はパチンコ代がないから、子供の学費をよこせっていう無茶苦茶な人で、旦那(つまりおれの親)の庇いたても一切ない。むしろ一緒になっていびられた。

  畑仕事で毎日こき使われ、姑と旦那が悪口を言い触らしてくれているので、近所や旦那の親戚周りの評価といえば、奴隷かなにかで、嘲笑の的だった。

    味方もなく金もない。
  毎日が針のむしろだったおかんは、ある日赤子(おれは三人兄弟の三番目)のおれを抱いて、自殺を決意したそうな。

    家を抜け出して、春の夜中に、とぼとぼとぼとぼ。
    歩き続けて、いつのまにか地域では有名な、古い桜の木の下へ。

    これが見事な桜でね、盆栽の松のような見事な枝ぶりで、住人の思い出や記念の場所として、とても愛された木だったんだよ。んでおかんも、事あるごとにその桜のある場所に行ってたらしい。

    その桜がまた満開で、月明かりに桜がはらはら散るんだ。

    街灯のない時代に、その桜の白い花びらがぼんやり見えるのがまた綺麗で、「もうこれで見納めやなぁ。あんたにどれだけ慰められたか・・・・・・今までありがとう」

    って泣きながら桜に話しかけたら、ふと背後から

    「こんばんわ」

    振り向いたら、笑顔いっぱいの四角い顔したおじいさんがいたそうな。

    真夜中。
    おかんの手には赤ん坊。
    懐中電灯も持っていないおっさんが、暗がりで笑顔。

    普通だったら恐怖だよ、女だし。
    これから自殺するってのに変だけど。
    けど不思議と、恐怖っていう感情がわかなかったそうな。

    んでその見知らぬおっさんに、
    「子供が風邪引くわ、はよ帰り」
    って言われて、腕の中見て帰らなきゃと思ったらしい。

    心中しようとした人間が、これから殺す子の風邪ぐらいって思うだろ?
    おっさんの肩を横切ったところで、おかんも気付いたらしい。
  
    振り返ったら、笑顔のおっさんがいない。桜の木があるだけ。
    ちなみにおっさんは死んだ曽祖父(写真が飾ってある)でもなけりゃ、地域住人でもない。

    今はその桜の木も、住人の反対の声も空しく、工事の関係で切られたけど。
    桜の精っていうのかな? 
    あるんだな、こういうの。
    おかげでおれ生きてるし。

──────────

○ 泣ける2ちゃんねるシリーズです。

 就業時間中に読んで、「目にゴミが入った…目薬をくれ」等々叫びませんように(^∞^)

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2008/03/31

いつかきっと、遊ぼうね


俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになった。

その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってた。

んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になった。


女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。

なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!って、一人でブーたれてたのを良く覚えてる。


そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみた。

ただの興味本位だったんだけど。

連絡帳には女の子らしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。


『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。

 ――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。
 
 …学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』


ショックだった。

学校行かないのって楽な事だと思ってたから。

ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。


でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。

だから、連絡帳にこっそり書き込んだ。

「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。

次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんにもう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。

あまりにも突然だった。


俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わった。

……この子は天国に行ったんだ。

もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。

そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。


ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれた。

せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。


そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。

あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。

就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。

今まで、本当に色んな事があった。

時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。

けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開く。

そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返す。

『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね』

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2006/05/25

本当に大切に育てた可愛い娘なんです

 小学生の頃、自営業を営んでいた父を、ませたクラスメイトがミナちゃんのお父さんは低学歴だからお豆腐屋さんなんだね!と馬鹿にした。

 私は深い意味も考えずに少しづつ父に対して、低学歴だから…と見下すようになっていった。

 せめて自分は、高学歴の男と一緒になろうと思った。
 
 子を持ったとき、自分の父を尊敬してもらいたかったからだ。それが愛情だと信じた。

 結婚した相手はミナの望み通り、高学歴の男だった。結婚前の漠とした不安はあったものの自分では上出来だと思っていた。

 数年経ち、男は仕事のストレスを全て家に持ち帰ってはミナに当り散らした。厭味をいうのは日常茶飯事だった。
 
 「ただの飯炊き女」「俺がいなければ生きていけないのだから、せいぜい奉仕しろ」など外面の良さとは裏腹なだけにミナには耐え難いものになっていった。

 結婚前の不安は的中した。 ミナは母にも愚痴をこぼす日が多くなった。離婚さえ頭をよぎった。

 ある日。普段は酒を飲まない父が珍しく泥酔し、ミナの家を訪れた。
 
 そしていきなり夫の前に土下座すると「この子は、本当に大切に育てた可愛い娘なんです。頼む、幸せにしてやってください」と頭を垂れた。

 夫は激怒した。

 足元の覚束ない父を担ぐように夜の町をミナは実家への道のりを歩いた。
 
 「ミナは、本当にいい子なんだ、大切な娘なんだ…」
 
 父のつぶやきがミナの耳を何度も打つ。

 お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい。
 
 ミナは人目もはばからずに涙を落とした。
 
  ミナは、離婚に踏み切った。
 
  心配顔の父に、久しぶりに屈託のない笑顔を向けながらミナは言った。

「心配しないで。私、今幸せだから。今度はお父さんみたいな、家族想いの優しい人と結婚しようかな」

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母と入った焼鳥屋

 

 二十歳の時だったと思います。
 母と買い物の帰り、駅の裏のさびれた焼鳥屋に入りました。

 「初めてね。女二人でこうして飲むなんて」…とは言っても、ほとんど飲めない母はレモンサワー。私はビール。

 東京で一人暮らしをして大学に通っていた私にとって、地方都市の駅裏のショボイ焼鳥屋はあまりにも小汚く、貧乏くさい店に思えました。

 この時に何を話したかはほとんど覚えていません。

 東京の話や大学の話をつれづれに語り、私はグラスを重ね、母はそれをニコニコしながら聞いていたように思います。

 後日、家族団らんのおり、何かの拍子に「私たちも良い店、見つけたよねー。また行こうね」と母がハシャいで私に言いました。
 私はあんな小汚い店…と内心思いましたが、笑って同意しました。

 その半年後、母が骨癌で倒れました。

 ずっと前から病気の事は知らされてはいたのですが、母があまりにも元気だったので「このままずっと母は生きている」と無条件に信じ込んでいたのかもしれません。衝撃でした。

 私は休学届けを出し、妹と交代で病院に泊まり込み、24時間態勢で母の看病をしました。

 痛み止めのモルヒネで意識がすっかり飛んでしまった母は、天井に向かって「田中さん、どこ行くの?」といった幻影を見るようになりました。そのうち、そばについている私のことがわからず「うちの娘ね、いい娘なのよ」と私の自慢を始めました。

 涙が出ました。

 父には愛人がいて、妹はプチ家出の繰り返し。
 食い道楽の父のおかげで外食というと高級とされている店にしか行かなかった母が、あんな小汚くてマズイ焼鳥屋に「また行こうね」と言った意味。お母さん、今になって思うよ。

 もう一度行きたいよ。あの焼鳥屋。
 来年は母の7回忌です。

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2006/03/29

感動シリーズ05‥震える兄貴の手を、声を、絶対忘れない

 年度末ってこともあり、やるべきことがてんこ盛り。
 ただでさえ忙しいのに覆い被さるように仕事の依頼。それはそれでけっこうなことではありますが‥。
 そんなときに限って、何も今やらなくてもよいことを始めたりする。
 
 前フリはそれくらいにして‥。好評の感動シリーズ第5弾

 【震える兄貴の手を、声を、絶対忘れない】

 兄弟の中で一番仲良しだった一つ上の兄貴。
 その兄貴が癌で余命一年を宣告され、病院から出られない状態だった。
 母と一緒に、県外の病院に入院している兄貴に会いに行ったとき。
 兄貴とあたしは、いっぱいいっぱいはしゃぎながら、あれこれ話した。
 本当はそんなに長時間会話する体力もなかったのに。

 付き添いをずっとしていた兄貴の恋人は、
「妹さんのこと、いつも自慢げに楽しそうに話してたんだよ。こんなにいっぱい話して‥会うの、すごく嬉しかったんだね」
 そう言ってくれた。

 兄貴はとても賢い人だったので、自分の病気、余命のことをすでに知っていて、二人きりの時
「自分はいなかったと思ってくれ」って言われた。
 
 その時の震える兄貴の手を、声をあたしは絶対忘れない。
 辛いとき、いつも最後の一瞬まで闘病した尊敬する兄貴を思い出して、自分に渇を入れています。

 

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2006/01/06

感動シリーズ04…クラリネット、聞こえてた?

私は吹奏楽部でクラリネットのパートリーダーをやっている。

高校三年で最後の定期演奏会が学校の体育館であった。

私は定期演奏会のことを両親に話していなかった。

当時の我が家は家庭事情が悪く、普段の生活でも両親との会話はまったく無かった。

むしろ私は家が嫌いだった。

 

演奏会当日、少し緊張しながら控え室になっている教室に向かった。

すでに多くの仲間がいて音出しの練習をしていた。

そのほとんどは、両親から楽器を買ってもらっていた。

私はおじさんから借りている楽器にマウスピースをさした。

 

いよいよ本番。

演奏会はポップスステージまで進み、いよいよ私のソロが迫った。

ステージの前までいくと、そこには両親の姿が!

私は驚いてうまくソロに入ることが出来なかった。

今までになかった大失敗。

 

演奏会が終わって両親が私の元に来た。

「一人で吹くところは残念だったけど、とても素晴らしい演奏会だったわ」

少し申し訳なさそうな顔で母が言った。

 

「あんたたちがいたからだからね。なんで勝手に来るのよ!」

私は怒りをぶつけた。

なんだか母は酔っているかのようにロレツが回っていなかった。

 

数年後、私は東京の大学にいた。

もう楽器はやめた。

あの時の恥ずかしさが忘れられなくて。

 

ある日、講義の合間に友達と話していると携帯が鳴った。

番号を知らないはずの父からだった。

「母さんが死んだよ」

 

私は電車に揺られ、実家に戻った。

そこにシワだらけの父と、真っ白な母がいた。

他に誰もいなかった。

母は鼻に脱脂綿を詰められて少し苦しそうに見えた。

「お母さんこんな顔だった?」

東京に出てから一度も実家には帰っていなかった。

 

「母さんなあ、耳の癌だったんよ。もう聞こえなくなってずいぶん経っていたんよ。普通は猫の病気らしいけど母さん運が悪かったんだなぁ」

 

じゃあ、あの演奏会のときも聞こえていなかったの?

聞こえていないのにソロは入れなかったのわかったの?

 

母には聞こえていたんだ。

私たちの音楽が聞こえていたんだ。

 

私は改めて母の顔をみた。

ふと、目を横にやると、おじから借りっぱなしだった私のクラリネットが添えられていた。

私の耳にはあの時失敗したソロが聞こえている気がした。

私は泣いた。

母の耳元で泣いた。

 

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