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カテゴリー「感動した話 『泣ける2ちゃんねる』より」の記事

2016/12/08

2010/07/22 お絵かきコンクールで銀賞を取った絵


僕の実家は阪神淡路大震災の直撃を受けた。

後に聞いた話で、家の崩壊まで10分ほど時間があったそうなのだが、


その間父は逃げ延び、祖母は自室で絶命し、母親は生き埋めになった。

僕と妹は運良く上京しており、被災から三日目には掘り起こしを手伝っていた。

泥まみれの母親を初めに発見したのは僕だった。その時足は骨折していたが、 身動きが取れない中、ボロ雑巾のようなものを握り締めて放さないでいた。

僕が小学校の時に描いた、お絵かきコンクールで銀賞を取った絵だった。

自分では記憶にすら残っていなかったその絵が、 母親にとっては自分の息子を誇る最も大切な宝物だったらしい。

危機に直面した土壇場で、身の安全やお金よりも、息子の絵の事を考えたんだ。

大学に殆ど顔も出さず退学寸前だった俺は、その日から勉強に励み、5年掛けて大学を卒業した。

当時は後ろめたかったけど、今では胸張って叱ってあげられる。

「今度地震があったら、自分の命を一番に考えろよ」って。

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2016/12/07

自殺を引き止めた少年の手

 6年付き合っていたヒモに捨てられて自暴自棄になっていました。
 電車に飛び込もうかな、とふらふら歩いていたら後ろから学生の男の子が腕をつかみ引きもどされました。
 「定期落としましたよ」と渡されました。
 無言で受け取った私に次の電車がくるまでずっと手を離さなかった。
 定期落としていたのは事実だけど、飛び込もうとしていたのを察していたらしい。

 10年も前のことだけど、あの時は、ありがとう。
 おかげで、今は別の人と結婚し、三人の子供に恵まれ幸せにくらしています。
 
 君がいなかったら、私はいまこの世にいなかった。


 

あれから5年 「相手に死なれて終わった恋愛」

 彼女は胃癌だった。

 死ぬ3日まえまで、苦しんでいた。
 
 それでも俺が来るとクスリで朦朧としながらも微笑んでくれた。

 それからかすれた声で少し寝るね、って言った。


 それが、最後の言葉だった。

 昨日、彼女のお墓にお参りしてきた。

 俺は、あれから少し年を取った。
 
 年上だった彼女より二つ上に。


 見上げると赤とんぼが飛んでいた。

 あれから5年。

 まだ、涙がでるんだな。俺は。

泣ける2ちゃんねるシリーズ 「お母さん」がくれた命

 感動とか言うよりも、未だに思い出すたびに後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ。
 たぶん、とっても長いです。
 長文、苦手なかたは読み飛ばしてくださいね。
 
 私がまだ小学2年のころ、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
 特に、苛められたとか、そういうことは、なかったんだけど、なんだかなじめなくて、いつまでたっても「お母さん」と呼べないでいた。

 そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかっていた。

 小学校4年になった夏休み、私は、継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
 現地につくやいなや私は、継母のことをほったらかしで川に浸かって遊んだ。

 しばらく、水と戯れていた時、急に深みに、はまって、溺れて息ができなくなった。
 すごく、苦しかった。
 でも、そのうち、喉の奥が「くツ、くツ」と鳴ってだんだん苦しくなって、意識がとんだ。

 気が付くと私は病院のベッドの上で寝ていた。

 ベットの傍らに、継母は、いなかった。私は父に「あの人は?」とたずねた。

 父は一呼吸おいて、ゆっくりした口調で教えてくれた。

 私が、溺れた時に継母が服のまま飛び込んで、私を助けてくれそのまま力尽きて下流まで流された。
 その後、救助されたものの今も意識が戻らないのだと。

 私は次の日に継母のいる病室にいった。継母は機械に囲まれていっぱい管をつけられていた。
 彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく。

 葬儀が終わって、母の遺品を整理していたら鍵のついた日記が出てきた。
 私は父と一緒になんとか鍵を探し出して日記を読んだ。

 そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。

 ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら命かけてでも守れる自信がある。○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

 継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。

 いつだって、とても優しい目で私を見ていてくれた。
 いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話しかけてくれた。
 そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何ひとつしなかった。

 愛情をもらいっぱなしで、それに答えなかった。
 私は、愛情どころか、あの人の命まで奪ってしまった。

 日記を読んで初めて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、声が出なくなるまで、ごめんね、ごめんね、と言って泣いた。

 ぐしゃぐしゃになって泣いても後悔ばかりで、気持ちは晴れなかった。
 
 年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 数十年、たったいまでも夏になるたびに思い出す。

2014/09/04

最後の手紙

大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。

仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。

私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。


大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、本当に仲良しだなァって思ってたわけです。

最後に3人で会った時、「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。

その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。

病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。

結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。

私たちが25歳の夏でした。

お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている彼に、

「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。

すると彼は、

「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
と、ニッコリと笑顔で言いました。

私は耐えられなくて号泣。

それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。

出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、

彼は耐え切れなくなって、崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。

子どもの様に、大きな声をあげて。

その姿を見て、またしても私は号泣でした。

数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。見て欲しい物があるって。

それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。彼が、

「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。

そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。

俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。

でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。

アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」

と言って、私に手紙を渡してくれました。

中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。

「うそつき。でも凄く嬉しかった。本当にそうなったらなって何度も思いました。

私にはあなたの代わりはもう見つからない。だから私はずっとあなたの物。

だけどあなたの代わりはいるんだよ。気にしないで良いからね。落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。

その人にこの手紙を見せてあげて下さい。本当にありがとうございました。じゃあね!」

って。

私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。


彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。

うん。私は前から彼が好きだった。

あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。


今度結婚します。


★ 久しぶりに、泣ける2ちゃんねるシリーズです。まあ、そういうこともありますね。

2012/12/15

盾になった男

U2というバンドがある。

ボーカルのボノ、ギターのジ・エッジ、ベースのアダム、ドラムのラリー。

1980年にアイルランドから登場したこの4人組は卓越した演奏力はさることながら、ボノの書く、貧困、宗教、国家といった社会問題に切り込む歌詞が反響を呼び、瞬く間に世界的バンドとなった。

そんな中、1984年に「Pride (In the Name of Love)」という曲が発表される。

この曲はマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げられた曲であり、彼の功績を讃えた曲だった。

それまでも様々な団体から圧力や脅迫を受けていたU2だったが、特に全米ツアーが決まった後は、KKKを始めとする人種差別主義団体から、大量の脅迫状が届いた。

その内容は、アメリカに入国したら射殺する、Prideを演奏した場合ボノを射殺する、といったものばかりだった。

ツアーの中止も検討されたが、メンバーたちは「路地裏の倉庫で練習してたときから、俺たちには失うものなんてなかった」そう言ってツアー実施を決めた。

アメリカに入ると、空港で待っていた地元の警察から、銃撃されるならL.A.だ、との警告を受ける。「ご丁寧に死の宣告をどうも」ボノは返した。

体制の象徴である警官に大勢で警護してもらうという皮肉も少し可笑しかった。

ツアーが始まり、U2は大小様々な嫌がらせを受けながらも、全米を回り続けた。そしてついにくだんのL.A.。

警備のチーフが駆けつけ、タレ込みによれば明日のライブがヤマだ、と告げた。

ライブ当日、出番を待つメンバーの元に、スタジアムの警備から不審者を確保したとの連絡が入る。銃を持ち込もうとした人間が複数、取り押さえられたとのこと。

スタジアム内にライフルが持ち込まれる可能性も指摘された。これにはメンバー、スタッフとも青ざめ、ライブ中止、せめてPrideをセットリストから外すことが提案された。

しかし、ボノはなんとしてもPrideを歌うと決めていた。

いよいよステージに上がり、熱狂的なパフォーマンスを繰り広げたU2。

問題のPrideを演奏し始める。メンバー4人にかつてない緊張が走る。

ボノは力の限り歌った。

♪一人の男が現れた、愛の名の元に一人の男が現れ、そして去った

一人の男が現れた、正すため一人の男が現れた、

覆すため愛の名の元に♪

ルーサー・キングを称える歌が始まった。

スタジアムには数万人の観客。

見晴らしは良く、自分はステージの中央に立っている。

撃つならこの曲の間だろう。殺そうと思えば簡単だ。

ボノは迫る死を意識し、今までにない恐怖を感じた。

その時、客の中で何人かの男が不審な動きをしたように見え、ボノは思わずしゃがみ込んだ。

いよいよ殺される、ボノは目をつぶったが、歌声だけは精一杯張り上げた。

そして曲も後半に差しかかり、ボノが恐る恐る顔を上げると、目の前に1人の男が背を向けて立っていた。

アダムだった。彼はベースを弾きながらボノの盾となって仁王立ちしていたのだ。

「あの夜、あそこで見たヤツの背中を、俺は一生忘れない」

2006年、3度目のノーベル平和賞候補に選ばれたボノは、そう語った。

2012/04/09

サービスエリアで


高速道路を北に向かって走っていた私は、
トイレに行きたくなったのでサービスエリアに立ち寄りました。

手前の個室はふさがっていたので、その隣に入りました。
便器に腰を下ろそうとしたその時、隣から 「やあ、元気?」と声がしたのです。
男は皆そうですが、トイレで見知らぬ人と話をすることはありません。
どうしていいかわからなかったので、ためらいがちに「まあまあだよ」と答えました。
すると隣人は「そうか……それで、今何してるの?」と言うのです。
妙だなと思いましたが、私はバカみたいにこう答えました。「君と同じだよ。ウンコしてるんだ!」
やがて隣の男は、声をひそめてこう言ったのです。
「おい、あとでかけ直すよ。隣の個室に、俺の声にいちいち答えるアホがいるんだ!」

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2012/03/30

その日初めて彼に恋していることに気付きました

 4年ほど前に本社より地方支店に左遷同様で転勤してきた同僚の彼。
 事務の女の子に手が早いだの、上司に対して生意気で飛ばされて等、前評判はけして良くありませんでした。

 でもいざ着任して同僚として付き合ってみると180度印象が変わりました。
 自分を頼ってくる人間には親身になって向き合い、そうでない人に対しても礼節を忘れないとでもいうのでしょうか、上司にも言うべきことはガツンと言うし。

 何より仕事に対して誠実で、慣れない土地での営業成績も上々でした。
 それに全国色々な支店の人が「○○ちゃん、ちゃんと仕事してる(笑)?」だの
「○○さんに今度のスキーツアー参加して下さい(はあと)、と伝えて置いて下さい」とか連絡が途絶えることもなく、私たち女の子の間でも「彼って人気者だね(笑)」と株高騰でした。
 そして転勤後半年経つころには彼に憧れの様な感情を抱く様になりました。

 そんなある日の夕方。彼がいつになく緊張した面持ちで営業より帰社してきました。
 その日は支店の飲み会の日で、時間も差し迫っていたので、「早く用意して行こうよ」と声を掛けたのですが、「ゴメン。お客さんから電話入るんで先盛り上げといて~」との返答。
 私はいったん会場に向かったのですが、すぐに会費をまとめた封筒を忘れたことに気付き社に戻りました。遠巻きに彼は電話中でしたが「ありがとうございました!全身全霊でやらせていただきます」と電話を切り、私の気配を感じることなく号泣し始めました。
 「やった!遂にやった!」とか泣き笑いながら。

 私はなんとなく顔を合わせない様に会場に戻ったのですが、どうしても気になったので2次会になってようやく現れた彼に「何かいいことあったの?」と聞きました。

 彼は一瞬驚き、「なんや見てたん?実は前から狙ってた仕事が決まったんよ。でも小さい仕事だから誰にも言わんといて」と少しはにかんだ表情で答えました。
 営業成績が優秀な彼でもそんなことあるんだな~と思いつつも、その日は自分のことのように嬉しく感じ、その後彼を3次会までつれ回すことに成功し(笑)ホロ酔い気分で帰宅しました。

 その日初めて彼に恋していることに気付きました。

 後になって人づてに聞いたのですが、その仕事(企画)は彼が本社にいる時に進めていた企画だったそうです。
 周囲に理解者は多く受注間際までいったのですが、突然上司の猛反対に合い頓挫。
 それまで上司との関係は極めて良好だったそうですが、どうしても納得できなかったらしくクビ覚悟の大喧嘩となり、結果地方支店に左遷が異動の真相でした。

 その後は順調な日々でした。
 前述のとおり最初は小さな仕事だったその企画も、その後の彼の営業努力、全国の支店の仲間の協力、何より本社勤務当時の上司の強力な後ろ盾もあり全社的なプロジェクトに発展するに至りました。

 また本社当時の上司はけして彼が憎くて左遷したのではありませんでした。
 ただ経験も足りないのに過度に熱くなっている彼に「少し冷静になれ」の意味もこめ企画を保留したようでした。
 しかし左遷後も企画を捨てずに採算性などをを再検討し結果を出した彼に感じいるところがあったのでしょう。

 私もその後は彼のプロジェクト専任の事務として、彼の仕事を末端からヘルプできるようになりました。
 私生活でも何となく彼の傍に置いてもらえる様にはなったのかな~、告白しようとするとその都度交わされはしていたのですが(笑)少しづつ距離が縮まっていたと思います。

 彼がこちらに来て2回目のクリスマスイブは一緒に過ごしました。

 でも順調だったのはそこまででした。

 プロジェクトも軌道に乗り始めたある日彼は突然倒れました。

 入院中は本人の希望で一度も逢うことができませんでした。
 私はそのことが残念でしたが、かといって面会してもどう声を掛けられるか自信もありませんでした。
 病状が末期的なことは彼の御家族から聞かされていましたので。そしてその後出社することなく入院して2ヶ月後この世を去りました。

 本人は以前から気付いてはいたのでしょう。
 でもけして打ち明けたくはなかったのでしょう。
 それを思うと今でもやりきれない気分になります。

 そういえば倒れる数ヶ月前に顔色が悪そうだった彼に「体調悪いの?気をつけてよ。」て聞いたことがありました。
 彼は「いや。少し疲れているだけやけど(苦笑」と答えましたが、今から思うと少し複雑な表情をしていました。

 彼が亡くなってから、私は感情を表に出せなくなりました。

 お葬式の時も周囲すすり泣く声が漏れる中、涙一滴出てこなかった。
 あんなに好きだったのに、多分私を一番信頼してくれてたはずなのに、大事なことは相談せずに一人で逝ってしまった。
 そのことに悔しさを感じたからかもしれない。一番つらかったのは他ならない彼なのに。

 お葬式が終わりしばらくしたある日曜日彼のお母様が私を訪ねてきました。
 そしてまず手紙を、その後少し迷われましたが彼の日記を渡されました。
 そして「お見舞い断わったことを許してね」と頭を下げ帰られました。

手紙には「××へ。ゴメン。
 俺ダメかもしれんわ。
 言いたかったし言うべきだったろうけど、でもかっこ悪いところ見せたくなかったんよ。
 わかってな。
 愛してます。
 早くいい男見つけてな。」

 と書かれていました。見覚えのあるはっきりとした字でした。

 日記は書き殴った字体でしたが「痛い。痛い。なんで」「早く治して××を抱きたい。」、そして古い日記には「××に泣いてるところ見られてしまった。カッコ悪~、でもまぁええか。」と。

 そこからは読めませんでした。涙が止まりませんでした。

 ボールペンで書かれたただでさえ乱暴な字体で書かれた彼の日記は私の涙で滲みボロボロになりましたが私はそれから手を離すことはできませんでした。その日はいつ眠ったのか記憶がありません。

 私はようやく彼を失ったことを実感しました。

 今日彼と同じ歳になりました。
 久々に彼の手紙や日記を読み返してみて、やっぱりこのまま塞ぎこんでてはいけないと思いました。
 自分勝手かもしれないけど、彼もこんな無様な私を望んでいないでしょう。多分怒っていると思う。
 今は相手もいないし、これから見つかる保証もないけど(苦笑)前に向いていかなくっちゃ。
 スレ違いホントごめんなさい。誰かに決意表明したかったんです。
 今日から頑張ります。

お父さんみたいな人を好きになりなさい

昔俺が落ち込んでいた時、当時彼女だったカミさんからの手紙に書いてあったこと。
「男の子が産まれたら、お父さんみたいになりなさいって
女の子が産まれたらお父さんみたいな人を好きになりなさいって言うの」
今はうちの坊主に口癖のように言っている。

10年前はメールじゃなくて手紙だった。
いつもつけている香水を吹いて手紙をくれた。
若い子もやってみるといいよ、きっと喜ぶから。

2012/02/10

こんな私を貰ってくれる人なんて

241 :非通知さん :2007/07/22(日) 03:41:00 ID:dE5DDtRD0
嫁が風呂に入っているときに携帯を見てしまった。
おれが送った「今から帰る」みたいなくだらないメールばかり。
でもフォルダがあって、そこにメールが一杯たまってた。
彼氏から彼女に送るような甘い内容のメールばかり・・百通ぐらいあったかも試練。
感情的になってしまい、風呂からあがってきた嫁に問い詰めた。そしたら
「自分が送ったメールなのに、忘れてしまったのですか?」
といって嫁は笑った。さっぱり気づかなかった。
言われて見れば、差出人がおれの昔の携帯の番号だった。忘れていた。
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた。もう何年も前から同じ携帯だ。
機種変しないのか?と聞いたら、メールが消えるのが嫌だったからだと。
なんだか携帯盗み見た自分が恥ずかしくなった。
謝ると、嫁は笑いながら「こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません」といっておれを抱きしめてくれた。
今週末嫁の携帯を機種変しにいってきます。おれの自腹でOTL

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