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« ネガティヴ思考についてお伝えします。 | トップページ | 今日は母親の葬儀でした。 »

2017/04/20

ゆでたまご

 小学校四年の時、クラスに片足の悪い子がいました。
 
 名前をIと言いました。

 Iは足だけでなく片目も不自由でした。

 背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。

 ゆとりのない暮らし向きとみえて、襟(えり)が垢でピカピカ光った、おさがりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。

 性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながらも、担任の先生も、私たちもついIを疎んじていたところがありました。

 たしか、秋の遠足だったと思います。

 リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばにIの母親が来ました。

 子供のように背が低く、割烹着の下から、大きな風呂敷包みを出すと、

 「これみんなで」

 と、小声で繰り返しながら、私に押し付けるのです。

 古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。

 ぽかぽかと温かい持ち重りのする風呂敷包みをもって遠足に行くきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは言えませんでした。

 歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についていくIの姿がありました。

 Iの母親は校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました。

 私は「愛」という字を見ていると、なぜかこの時の鼠色の汚れた風呂敷とぽかぽかと温かいゆでたまごのぬく味と、いつまでも、見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。

 Iには、もうひとつ思い出があります。
 
 運動会の時でした。

 Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。

 その時ももう他の子どもたちがゴールに入っているのに、ひとりだけ残って走っていました。

 走るというよりも片足をひきずってよろけているといったほうが、適切かもしれません。

 Iが走るのをやめようとしたとき、女の先生がとびだしました。

 名前は忘れてしまいましたが、かなり年輩の先生でした。

 小言の多い気難しい先生で、担任でもないのに掃除の仕方が悪いと文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生でした。

 その先生がIと一緒に走り出したのです。
 
 先生は、ゆっくりと走って一緒にゴールに入り、Iを抱きかかえるようにして、校長先生のいる天幕に進みました。
 
 ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を一本もらうのです。
 
 校長先生は立ち上がると体をかがめてIに鉛筆を手渡しました。
 
 「愛」という字の連想には、この光景も浮かんできます。
 
 今から、40年も前のことです。

 テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には、無縁の時代でした。

 私にとって、愛は、ぬくもりです。
 
 小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。

 「神は細部に宿りたもう」という言葉があると聞きましたが、私にとって愛のイメージは、この通り「小さな部分」なのです。


 

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